俳人金子兜太が伝える『感の高揚』

安念さんがFacebookで呟やいています。
 県民会館で開催されている沢山の写真展を見てきました。
つくずく人を感動させれる写真を撮る事の難しさを考えさせられました。
ある意味勉強になりました。

ほんとに難しい・・・・形に囚われないことでしょうか。
形を破る難しさ、自分では破ったつもりでも他の人がみたら
破っていない。
しかし、嘆くばかりでもしょうが無い。
撮って撮りまくるしかない、自分が嫌になるまで撮り尽くす。
そうしたら、拓くかも・・・・。


美しく技術の優れた写真だが感動を呼ばないと清水哲朗氏が去年の
アサヒカメラ1月号で言ってました。
何故でしょうか。それは、撮った人の驚きが加わってないせいです。
日頃、勉強家のアナタは、写真集、雑誌、写真展で素晴らしい作品を
見て、こういう写真を撮ってみたいと思っています。


私の俳句の師、金子兜太は、
金子→先人たちから学ばねばならない、しかし作句の時は忘れなさい。
   記憶の底を掻き回して、いや掻き回さなくても頭にはしっかと
   過去の作品が残っている。しかし、それは他人のものだ。
竹丸→では、どうしたら良いのですか?。
金子→感動したとき、誰にも真似できない作品が生まれる。
竹丸→大人がいちいち感動して居られないと思いますが。
金子→いや、ナイーブな感性を保つことだ。そこから感動が生まれる。
竹丸→では、どうしたら『ナイーブな感性』を得るには??。
金子→ナイーブな感性日頃から、絵、音楽、映画、小説、詩など
   どんなジャンルでも構わないが接して感動を養うことだ。
           表現は理屈で攻めるのが一番つまらなく、誰でも考えるあたりに
   落ち着いてしまう。

竹丸は以前、東海道並木の虫食い松の輪切りが道路端に展示され
年輪に年代が書かれていました。そこには江戸三大飢饉と言われる 
享保、天明 、 天保の飢饉が記されていた。
飢饉の年は松の年輪の巾が小さくねじれていた。
気候の変動が植物の生育をはばんだのです。 
頭では知っていた飢饉を直接見たことによりすうっと伝わった。
日頃、遅書きの私でしたが、感動のあまり数秒間で俳句が出来た。

写真にも言えますね、朝、水平線が一筋の茜色となり夜明けを告げる。
霧が包む新緑の森、初雪に覆われた紅葉など・・・感動の景は誰でも
覚えがあります。
上手な写真を真似しても技術的に良いと思いますがその人の感動が
ないから、既視感のある写真になってしまう。
人の真似も大事な写真上達の道ですが、ある程度解った時点で感動を
大事にしたほうが個性的な写真になります。
金子兜太はこうも言ってます。
先人たちの積み重ねの上に現在の表現がある。
記憶の底の作品は感銘している故、イメージがスムーズに出た場合は
用心せよ。もしかしたら人の作品かもしれない・・・。
写真は撮る場所が同じ場合が多く類景になりやすいですね。
感動こそ表現の源「感の高揚」を大事にしなさい。
新年に敬愛する金子兜太のこの言葉を表現者たちに贈ります。




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